栗東よしおか小児科の院長ブログ

滋賀県栗東市で小児科医院を開業しています。小児の発達、小児の病気、開業準備のことなど書いてます。

コウノドリを見て隠岐の島の思い出話を書いてみました

こんばんは。滋賀県栗東市の「栗東よしおか小児科」の吉岡誠一郎です。

 

当院ではいまだに看護師と医療事務、脳波技師を募集中です。てんかん、小児在宅医療、アトピー、喘息、発達障害などに興味がある方、お気軽にご連絡下さい。

 

ドラマ「コウノドリ」の2作目が始まりましたね。1作目は世間の絶賛をよそに途中で挫折して見るのを止めてしまいましたが、今度は初っ端が、10年前に私が1年ほど勤務してた隠岐の島が舞台ということで懐かしさもあり観てみました。

 

実際にドラマでは、本当にちょっとだけしか出てこなかった上に、隠岐の島でも島前という私がいた島後とは少し離れた離島しか映らなくてちょっと残念。(隠岐の島はいくつかの離島が集まった島で、私が勤務してたのは比較的人口も多い方の島後というところでした)

 

でも、隠岐のことがいろいろ思い出されたので書いてみようと思います。当時、地方の大学病院にいた私が医局からの脱藩を表明したために、それに対する分かり易すぎる制裁人事により隠岐の島の1人小児科医として赴任しました(もちろん、その後に滋賀に帰ることを許可するという条件で)。島で小児科医が1人ということで、一番ネックはドラマにもあるように新生児でした。子どもはいくら重症になるのでも、事故など以外はいきなり最初っから重症ということは少なくて、あ、ちょっと悪くなりそうだなってタイミングを逃さなければ、ヘリで本土に送れるんです。でも、赤ちゃんはいきなり重症から登場(出生)してくれます。赤ちゃんに限りませんが、あまりに重症になると搬送も出来なくなっちゃうから(搬送のストレスで死亡するリスクのため)、そういう時はもう離島の孤独な小児科医としては悪夢の状況なのです。

 

ところがです、ちょうど赴任するときになんと島から産科医がいなくなって島でお産が出来なくなるという、全国的にも話題になるくらい島民としては悲しい事態に、唯一島で私1人だけが不謹慎にもラッキー!な状況になったのです。不思議なことに島では産科医は1人もいないのに、助産院はあるし(産科医がいないからと休業されてました)、勤務してた病棟には7人くらいも助産師資格を持つ看護師が働いていて、彼らはやっぱり悔しそうでしたね。

 

そうこうしてると、やはり全国的に話題になっただけに静岡で開業準備中のある産科の先生がご厚意で数ヵ月だけ島に来てくれて、お産が再開となりました。私もそういうことならと覚悟決めて赤ちゃんを診るようになりました。初めの頃、その産科の先生は積極的で、多少のリスクがある妊婦さんでも本土に送らずに島で出産させようとしてくれてました。その気持ちは有難いながらもちょっと怖いくらいで、助産師さんも怖がってたので、私は意を決して「新生児は胎内で問題が無さそうでも出生して大きな問題が判明することがしばしばあること、生まれてすぐは軽症と思われてたのが後々脳性麻痺などで出生前後に問題があったことがわかるなどあるから、慎重を期して欲しい」と話しました。ケンカなったらどうしようと思ってたのですが、とてもよくわかってくださって安心したのをよく覚えています。

 

幸運にもスタッフにも恵まれ、私が赴任中に本土に搬送するような赤ちゃんはほとんどいませんでしたが、1人だけ重症仮死で生後1時間足らずで亡くなりました。「loss of variability, 基線細変動の消失」という私は教科書でしか見たことないような最悪の胎児心拍パターンで緊急帝王切開になり、生後かろうじて心拍があるだけの真っ白な赤ちゃんを、帝王切開の前立ち(産科医1人だから助手を他の外科医がやってた)してた泌尿器科医の先生と、偶然小児心臓外来に来ていた小児循環器の先生とで頑張って蘇生したのですがダメでした。あの時は多分本土でも救命は難しかったと思いますが、今思い出しても結構ショックな出来事でした。

 

結局私の勤務も終わる頃には、産科も本来の派遣元である島根県から2人も来るようになり、小児科も2人は必要だろクソ野郎と思いながら島を離れたのでした。